spinflopの日記

中堅マンション管理及びマンションライフ

実家2の葬儀

危ないとは聞いていたが、結構、突然だった。
8日の夕方に容態悪化との連絡があり、二人で病院に行ったところ、酸素吸入で落ち着いているようなのと、ずっと付いて居ると母親の具合も悪くなりそうなので、夜八時頃、一旦帰宅したらしい。
すると九時過ぎに病院から死亡の連絡が来たとのこと。
肺に水がたまり、肺炎になったのが引き金らしい。夏に一時退院した際は、自転車に乗って買い物に行ったりもしていたので、いきなりと言えばいきなりであるが、年寄に肺炎は致命的らしい。
予定としては、翌朝に病院で打ち合わせ、ご遺体は一旦、自宅に運び、枕経とのこと。
  
翌朝、葬祭業者(早坂さん)及びお寺様と打ち合わせの結果、即日、つまり9日に通夜を行うと、朝9時頃連絡が入ったので、直ちに新幹線を予約し、二人分の喪服を持ち、二人で出立。
その前に、自分の名で生花台(1万くらい)を付けてくれるよう、葬儀屋に頼んでくれ、とLINEで連絡。
しかし、自分の仕事場で、宣伝用パンフ撮影のスケジュール(自分がモデル!!)が11日の木曜に入っており、一旦は、出来なくなった旨、関係部署にメールで伝えたのだが、再び、Ygstさんに直接電話をかけて、「ぎりぎり間に合わせるから大丈夫」と連絡した。
 
通夜の宿泊は、二人とも、斎場の会館にして貰う。
最初、新幹線駅のホテルに宿泊しようと考えたが、どこも一杯で予約出来なかった。結局、会館にして貰って良かった。
通夜の晩、新幹線駅まで戻ろうとしていたら、とても大変だったと思う。
新幹線駅でお酒を買う。会館に泊まる人々(6人)は自分の家族以外、皆年寄で、誰も飲まない旨、聞いていたので自分一人用に、小瓶の生酒一本にした。
 
三時過ぎに実家宅に着き、お悔やみを述べて香典(10)を渡す。
四時頃、納棺師(女性)が来て、ひげを剃ったり腕の位置を変えたり、体を拭いたり(自分たちも拭いた)、わらじを履かせたり、お金(小銭)を袋に入れたりもした。こちらでは本物の小銭を入れていた。
納棺後、ご遺体を霊柩車に積んで斎場へ。自分たちもマイクロバスで向かった。
 
通夜には妹さんご夫妻と、本家の亨さんご夫妻がいらして八人となった。奥様はゆみこさんとおっしゃるらしい。
本家とはどういう縁戚にあたるのか、何回、誰に聞いても、思い出話が出るばかりで一向にらちが明かなかった。
夏目漱石吾輩は猫であるの作中で、天璋院様の何とやら、と言うくだりがあるが、あれとそっくりだった。
読経は一時間ほどで終了。途中、南無阿弥陀仏を皆で唱えることが何回かあった。
 
夕食は仕出し弁当。豪華で量も多いのだが、揚げ物がちょっと多過ぎた。入浴し、買って来た日本酒を寝酒に就寝。泊まったのは、義父の妹夫婦を入れて六人。
翌朝の朝食も仕出し弁当とインスタントの味噌汁が届いた。
翌日、出棺経のあと、皆で火葬場に行き、和尚さんも来られて、炉に入る直前まで読経を続け、火葬中も焼香を欠かさず行い、一時間半くらいで終了。待つ間に皆で助六とお菓子などをいただいた。
待合場にはビールや日本酒まで置いてあったが、帰京後、翌日(木1,4)の仕事の準備があるので飲む気になれなかった。

骨上げは、まず、代表二人(母娘)で、足の方の大きな骨を一緒に掴んで木製の骨箱(内袋付き)に入れ、その後、一人、一二個くらいずつ、足元の方の骨から順番に入れて終了。残りは係の人が全部掬って入れた。
男性の自分が、お骨を持つ係になった。お骨の木箱に化粧袋を被せて、白い布で首にかけて貰った。これで骨上げも五回目になった。いつ自分の番になるだろうか。
再び斎場に戻り、告別式、そして初七日四十九日、百箇日までの法要を行った。シンバルのような楽器や、丸い紙を撒く散華(さんげ)、長い木の箸を紅白の紙で巻いたものを使う儀式(おそらく、骨広いの箸であろう)、などがあった。お布施は、枕経(1)、通夜の後(30)と言うことで、百箇日法要まで含んでいるらしいので、実家1より、かなり安そうであるが、但し、細川さん(檀家の代表)のところで、積み立てがあるとも言っていたので、結局、同じかも知れぬ。

最後にまつやさんのマイクロバスでお寺に行き、皆で納骨。お墓の入り口の石はかなり大きく、石屋さんが来ていて、石をずらす作業をやって貰った。素人では全く動かせそうにない。
いずれ左側の墓標に名前も刻んでもらうとのこと。費用は四万円で、その場で支払っていた。

墓石の前の石全体をずらして、お骨を袋ごと入れる

納骨作業の途中で、「お悔みの人が何人か斎場にいらしたので香典返しをお渡しした」と、葬祭業者の方が伝えに来た。
最後に、お墓へのお供えのお餅やお菓子(鳥害のため、お墓に残すのは禁止されている)を、供養のために、墓前で皆が少しずつ食べたあと、自分たち二人だけ、駅までバスで運んで貰い、夕食用御膳の大きな袋を抱えて、四時頃のローカル線に乗車し、五時頃の新幹線で帰京。

帰り際に撮影。通り雨と虹が過ぎ去ったあと。

 
残りの人々、と言っても妹夫妻だけだが、は、実家2に一旦戻って夕食をいただいたと思われる。息子さんが見えられないので、帰り際、連れに聞いてみると仕事が抜けられなかったとのこと。小さなお店のため、休むと言い出せないのだろうか。忌引きと言う概念を知らない可能性もあるかな、と思ったら、やるせなくなってきた。
夕食は貰って来た御膳を車中で半分ほど頂いた。残りは明朝と夕食に。

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